

Dr.イエロー(LEIDEAS代表 黄磊)
元留学生の起業家。バスケットと町おこしが趣味。亀10匹飼っている。

GUEST レイ・ヴァン・タンさん
構成・文/滝口 亮
ベトナム料理店事業に一区切り、次は母国でスマート農業に挑戦!
こんにちは。LEIDEAS代表の黄磊です。
LIリニューアルにあたり新コーナーを開設しました。
このコーナーでは、私はDr.イエロー(黄)というキャラ設定で、周りにいる外国人材や留学生を診断したり、紹介していきます。第1回目はベトナム人起業家のタンさんです。水戸駅南口に「123 Dzô(モッハイバーヨー)」というベトナム料理店があります。駅南中央通りに面しているので、ご存じの方、食べに行ったことがある方も多いでしょう。タンさんはこのお店の経営者で、茨城大学留学生の後輩です。
昨年末、タンさんから「ベトナムに帰国することになりました。これまで本当にお世話になりました。実家の農家を継ぎます」と連絡をもらったのです。ビックリしましたね。お店も軌道に乗っているのになぜ?と思ったし、寂しい気持ちもありました。ただ、よく聞いてみると、単純に実家の農家を継ぐという話ではなかったのです。そこには大きな可能性と、今後も続く茨城との縁がありました。彼や私といった外国人材はどうやら「第2章」に突入した、そんな実感を持ちました。そして、その直感を元にLIをリニューアルする運びとなったのです。
さあ、それでは新コーナーを始めましょうか。タンさん、自己紹介お願いします。
こんにちは。ベトナムから来たレイ・ヴァン・タンです。今日までの経歴を簡単にお話しますね。故郷は南部のラムドン省。農村部だったので、都会や海外留学への憧れがありました。ただ、アメリカ留学の場合学費が高額になるので、日本を目指しました。ホーチミンにあるドンズー日本語学校では、豊富なノウハウや支援制度があるので、そこ経由で2012年に日本に来ました。まずは岩手県盛岡市の日本語学校に入学し、新聞配達員などのアルバイトをしながら勉強しました。いやあ、寒かったですね。
えっ盛岡にいたんだ!? 初めて知ったよ。ベトナム南部から来たんだから、そりゃ寒かったでしょう。日本語学校で日本語を勉強した後に大学入試に挑戦する。タンさんも私も、まあ留学生はだいたい似たルートだね。
いくつかの国立大学に合格でき、茨城大学工学部を選びました。そして2015年、入学を機に茨城県に初めてやってきたというわけです。それまで茨城について何にも知りませんでしたが、住みやすくてとても好きになりました。
起業に興味を持つ
せっかく大学に入学できたので、新しいことを始めようと思っていたら、学内チラシで興味をひくものが目に飛び込んできました。それが黄磊さんが主催していた「留学生ドラフト会議」だったんです。何だかよくわからないけど、行って確かめてこようと思いました。
「留学生ドラフト会議」は、私が起業した当初から手がけていた事業です。当時、大卒留学生の大部分は東京で就職していたけれど、茨城県内にも有力な企業は実はたくさんある。企業側も優秀な大卒留学生を採用したいけどパイプや情報がない。そんな両者を結びつけるために始めました。今でこそ、行政が同様のことを行っているけど、当時はそんな仕組みはなかったからとても注目されました。累計で300人以上の留学生がこれをキッカケに就職を果たしています。
タンさんともここで知り合ったんですよね。ただ驚いたのは、まだ入学したばかりの1年生だったということ。普通参加するのは就職活動中の3年生とかですよ。意識が高い人だなと思いました。
自分の興味にピッタリだったんですね。それで黄磊さんの会社でインターンシップなどもさせてもらいました。それからベトナム語通訳の仕事も依頼されるようになったんです。水戸ホーリーホックに入団したベトナム人選手の通訳とか、茨城県警からは事件関係の通訳とか。それらを続けていくと、自然と経営者に会う機会が増えていきました。当時の私は単純に「なんか経営者ってお金いっぱい持ってそうでいいな。自分もやってみたい」と思うようになったんです。経営の苦労も知らずに単純ですよね(笑)。
でも、その起業に興味を持ったのが大学2年生の頃だったよね。本当に意識が高いよ。それで、私から茨城県よろず支援拠点やJETROを紹介して、起業の方法や何を事業にするかなど相談に乗ってもらっていたんだよね。
そうです。工学部で機械工学を勉強していましたので、その方向で起業する方法もありましたが、なにせ研究開発にはお金がかかります。とても当時の私ができるものじゃありません。そこで、身近なベトナム料理で起業しようと思いました。ベトナム料理店は今では普及して茨城県内だけでも約30軒はありますが、当時はほとんどありませんでした。だから、私がやる意義はあると思いました。料理を通して、ベトナム文化を発信することもできますからね。
そして、大学3年生のとき友達といっしょに小さな店を開店しました。料理だって別にプロではないし、ほとんど勢いですよね。若くて無知だったから、逆にできたんです。ただ、場所も裏通りで目立たなかったせいか、繁盛しませんでした。
大学卒業後は本格的に会社を設立して、経営管理ビザを申請。最初のお店の反省点を生かしながら、2019年8月にこのお店「123 Dzô(モッハイバーヨー)」をオープンしました。モッハイバーヨーというのは、ベトナムの乾杯するときの掛け声です。
水戸駅前でチラシを配ったり、知人に紹介してもらったりして、少しずつお客さんも増えてきました。ベトナム料理が珍しい日本人客、故郷の味を食べにくるベトナム人客などリピーターも増えました。さらに誇るべきことに、ベトナム国家主席が茨城県に来訪したときに当店を訪れてくれたんです。ゼロからここまで来れたこと、色んな方たちに感謝です。

スマート農業を故郷で展開
それにしてもビックリしたよ。人気店として経営も安定してきたと思ったら、「ベトナムに帰国することになりました。実家の農家を継ぎます」という連絡をくれたもんだから。
茨城に来てから妻と出会い、子供も生まれました。家族ができたことが大きいですね。実家の農業を継いで親を安心させたい。そんな気持ちが大きくなったんです。ただ、後でお話しますが、このお店を閉店することはしません。
実家ではドリアンを作っています。針のような突起がゴツゴツしていて、強烈な臭いが苦手な人もいます。でも、東南アジアでは大人気のフルーツで、「果物の王様」と呼ばれているんですよ。中国向けの輸出も多く、高値で取引されます。とはいえ栽培が難しい。雨季はともかく乾季が大変。水をやらないと木ごと死んでしまいます。かといってやり過ぎてもダメ。しかも、ベトナム農村部ですから農地面積は広大です。これを私たち家族だけで管理するのは難しい。そこでスマート農業を導入しようと考えました。
あれっ? なんかスケールが大きい話じゃない? 実家に戻って農業を継ぐと聞いたから、ちょっと地味な印象を持っていたんだけど、「スマート農業を導入して広大なドリアン畑を管理する」って、これ完全に新規ビジネスですね。
ハハハ、まあそうですね。農業経験はないですが、茨城で経営した経験がしっかり生きています。しかもスマート農業といっても、今の時代Appleのホームアプリや既存のIoTデバイスが発達しているので、組み合わせれば個人でもできちゃうんですよ。これらを使って自動的にドリアンに給水したり、スマホから蛇口の開閉を遠隔操作したり、ドローンを使って遠隔監視もできます。もし大きな会社にシステム開発を頼んだら数千万円はかかりますが、自分でやれば10分の1以下で済みます。
また、住居も3世代の家族が住むには手狭だったので新築中です。せっかく建てるなら、事務所機能を強化し、さらにはゲストが宿泊できる部屋も組み込みました。こだわりとして日本風のニシキゴイがいる池や枯山水も整備します。
続く茨城との縁
夢満載だね。ぜひ泊まりにいきたい。
それにしても感慨深いですよ。私もタンさんも故郷を出て、海外である日本にやってきた。留学を経て起業し、茨城に根付く人もいれば、故郷で新規ビジネスを始める人が、私の周辺でも出てくるようになったんですね。なんだか「第2章」が始まるようでワクワクします。
それでもう茨城には戻ってこないんですか?
まず、このお店はスタッフに任せて営業を継続します。私もベトナムから多少は関わっていきますが、スタッフたちで回せるように長いこと準備してきました。ですから、まだまだ茨城との縁は続いていきますよ。
ベトナムでの事業も楽しみですね。
ぜひ、ずっとベトナムと茨城の懸け橋として活躍してください。
ベトナム料理 123dzo (モッハイバーヨー)