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茨城×中国INTERVIEW #15【鄔熙乾さん】

INTERVIEW │ 日立Astemo株式会社 鄔熙乾さん

鄔熙乾 さん

- 日本に来たきっかけを教えてください
日本に留学するためにきました。私はロボットが好きだったんです。
それで日本もロボットに関してすごく優秀な国で、いろいろ調べたらドローンに関して日本の第一人者である野波健蔵先生が千葉大学にいらっしゃった。もう定年退職されてしまったのですが、当時は副学長をされていて、研究室も千葉大学のなかで一番大きい研究室でした。そこに中国の大学を卒業後、留学しました。

- 来日当初から今のように流暢な日本語が話せたのですか?
いえ、日本に来た当初は全然話せませんでした。東京の日本語学校に1年通って猛勉強しました。
アルバイトも日本語を話す機会が多いものをと思って、居酒屋で働いていました。最初は日本語学校の先輩の紹介で野菜工場で働いていたのですが、日本語をほとんど使わない職場だったので…。居酒屋ではまず洗い場からはじめて、その後ホールに。
もう本当に日本語だけしか使わなかったです。おかげで日本語も急成長できたと思います。日本語能力試験のN1(最上級難度)に8か月で合格しました。

- すごい努力をされて希望の研究室へと入ったのですね!
でも実は入ったタイミングが少し悪くて、大学院の試験がしばらくなかったんです。なので1年半ほど研究生として在籍していました。ただそれもかえって良かったと思います。結果的にいろいろ勉強する時間を長くとれたし、実際研究室に正式に入ってからも全然困ることなく済みました。
研究室では、日本だけでなく海外の先生たちとの交流や共同研究があったり、アメリカ人のアドバイザーがいたり。アメリカ主催のロボットコンテストに参加したりと本当にいろいろな経験ができました。

- 茨城で生活するようになったのはなぜでしょうか?
卒業後に、日立オートモティブシステムズ(現・日立Astemo)に入社したのがきっかけです。何社か内定をいただいていたのですが、日立は研修制度がとてもすごかったので選びました。アメリカにも3か月ほど研修に行かせてもらいました。
そして入社して1年後、茨城ひたちなかに来ました。途中でイギリスへ1年半ほど赴任していた時期もありましたが、2013年から茨城で暮らしています。

- 主にどのようなお仕事をされているのですか?
設備の設計などです。例えばイギリスでもそうです。それまで海外工場の設備は全部日本で作ったものをわざわざ持って行っていたのですが、それは当然時間もコストもかかる。なので現地のスタッフに設計の指導をしたり、現地のサプライヤーを探して設備の設計・立ち上げを現地化できるよう、そういうこと全般をやっています。
この仕事の楽しいところですか? それはやはり生産ラインが無事に立ち上がって、そこで製品が作られることですね。
この車は自分が立ち上げたラインの部品を使ってるな、と思うときに充実感がありますね。

- 茨城の印象はいかがでしたか?
最初はいろいろギャップに驚きました(笑)。今はもう慣れて全然困らないですけどね。そもそも日本食も最初はダメだったんです。刺身も寿司も最初はちょっと…それに納豆もダメ。
今はもちろん全然美味しいと思えるんですけどね。そう思えるようになったのは、やはり居酒屋のバイトが大きかったですね。オーナーさんがとても良くしてくれて、築地に仕入れに行くときに連れて行ってくれて、マグロの美味しいところをお土産にくれたりとか。日本食の美味しさ、いろんなことを教えてくれたました。すごい人です。今でも毎年会いに行ったり、交流が続いているのがとても嬉しいです。

 

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