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【特別寄稿文】日中友好のサザ 中国から学んだコーヒー屋

はじめに

茨城県民はもとより、県外のコーヒー愛好家を虜にするサザコーヒー。
父が経営していた勝田宝塚劇場の敷地内ではじめたコーヒー屋を、茨城県を代表するコーヒーブランドに育て上げた鈴木誉志男会長は、深い思索を重ねた文化人としても後学の範となられております。
今回『LI(エルアイ)』発行人・黄磊より鈴木会長にその哲学のご教授を依頼させていただきましたところ、弊誌理念に賛同いただいた鈴木会長より、サザコーヒーの来し方を通した日中友好への想いを寄稿文という形で頂戴いたしました。
ぜひ読者の皆様にも、鈴木会長の一文一文に想いを馳せてお読みいただければ幸いです。

日中友好のサザ 中国から学んだコーヒー屋

株式会社サザコーヒー 代表取締役 会長 鈴木誉志男

私はサザコーヒーという名前のコーヒー屋を54年前に始めました。

サザとは「且坐喫茶」、サザキッサと呼びます。
且坐喫茶は中国臨済宗の禅宗の七言絶句の言葉です。臨済宗は中国禅宗五客の唐代臨済義玄が開祖で、鎌倉時代に日本に伝わりました。その意味は「さあここに座してお茶を頂きなさい」です。

私は26歳の時に、思うことがあって、一週間に一回無心の時間を求めたいと、表千家茶道に入門しました。
茶道は、精神的な求道の道と、中国唐時代の総合芸術といわれています。茶道具、書、掛け軸、茶碗、書画、古代布の美に対する意識や感動を学びました。

コーヒー屋を始める時、迷うことなく屋号に決めました。しかし誰もサザと読めません。困りました。そこで案じてローマ字でSAZAにしました。開店当時電話で店名を聞かれた時、「サザです」と答えると、お客様から何度も聞き返され「“サザエさん”のサザです」とか「“さざんかの宿”のサザです」と、何度も答えたのを覚えています。

茶道の素晴らしい中国美術の品々を、コーヒー屋はどう表現したら良いだろうか。茶道の名物布、床の間を飾る書画、陶器の花器、茶碗に代わる品は、コーヒー産地にあるだろうか?
40年間、コーヒーの生産地、アジア、中南米、オセアニア、アフリカを旅して探したら、ありました。
赤道はさむ北緯20度、南緯20度のコーヒー生産ゾーンに、マヤ文明、アステカ文明、インカ文明、インダス文明が存在し、マヤやインカ文明には古代布や天然染料布が存在し、インカの陶器、現代美術のピカソ、マチスに影響を与えたアフリカやパプア・ニューギニアの仮面を見つけました。
インド・インダス文明から広まった絣(かすり)と絞(しぼり)。布の手芸。世界。コーヒー生産ゾーンは、なんとアートゾーンでした。コーヒー道の宝物を発見しました。

私は中国のシルクロードの旅をしました。甘粛省敦煌の近くにある仏教遺跡、莫高窟。4世紀から1,000年間、元の時代まで彫られた大小400の石窟の彩色像と壁画、仏教芸術の遺跡です。インドの仏教経文を漢字に直したり、曼荼羅や絵画で仏教を伝えました。そして仏教のシルクロードの終着地、日本に伝わります。

中国はインドから漢字で仏教を伝え、日本人は漢字の仏教をひらがな文字、カタカナ文字に変える発明をしました。そして仏教を日本人に解りやすく説いた。いわゆる鎌倉仏教に属している大天才の法然、親鸞、日蓮の宗派が、今日の日本の大きな宗派の役割を占めています。

なんと日本人は中国から来た外来文化を吸収して組立てました。

その日本人のパクリの精神は恥じるものではありません。すごいスピードでイノベーションしました。

私は中国から伝来した茶道を珈琲道に組立てようと企てています。

【地域貢献】

サザコーヒーはひたちなか市で誕生し、育てられました企業です。
今日までに到りました。地域に恩返ししなければなりません。
全国勝田マラソンではランナー3,000人にコーヒーサービスをしています。恒例の茨城ふるさと伝統芸能大会や元旦のほしいも神社参拝者にコーヒーサービスしています。口の悪い人はサザコーヒーを“タダコーヒー”と言う方もいらっしゃいます。

昨年の5月、茨城県のコロナ医療従事者10,000人に県を通して、「コーヒーの力で元気を!」と日本コーヒー文化学会茨城支部のコーヒー屋さんと、コーヒー豆(100kg)を提供しました。
また別枠で県北の医療機関に3,500人分(35kg)を提供しました。

大井川知事にコーヒーを寄贈した際の記事の一部

株式会社サザコーヒー

事業内容/コーヒー豆の販売、喫茶、焙煎および流通卸など
設立/1942年(昭和17年)
店舗/ひたちなか、つくば、水戸駅、JR品川駅、東京、新橋など
直営16店舗展開
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