水戸市末広町に会社を構え、幼い頃からこの界隈で育った松本代表。
いくつもの役職を兼任しながら町の活性化のために邁進しています。
松本代表が抱く活動への思いを、同じく水戸を盛り上げたい気持ちは人一倍!!なLI発行人の黄磊がお聞きしました。
聞き手 LI発行人 黄 磊(左)
─ 松本さんは水戸商工会議所や水戸456会※1 などを通して数多くの地域活性化イベントに携わっていらっしゃいます。どのイベントも準備に手間も時間もかかると思いますが、なぜそうした活動に情熱を注ぐことができるのでしょうか?
※1 水戸商工会議所青年部OBと、水戸青年会議所OBを中心とした同級生の集まり。「水戸(茨城県)のまちをもっと元気に」という趣旨の下、「スポーツ」「食」「音楽」「芸術」など様々な分野において事業を企画・実行している。
私は40歳まで経済団体というものには一切入ってなかったんです。それでもある時、仲間に誘われて商工会議所に入って。するとそれを通していろいろなイベントに関わっていくうちに面白いことがたくさんあったし、なおかつこの経験は地元の他の活動にもいかせるんじゃないか、と思うようになりました。そこからさらに各種団体に入っていく羽目になっちゃったんですけど(笑)、結果それを通じて人の輪もできました。
自分が面白いと思えたことや気づいたことを広げていきたいし、若い人たちにもそういう経験をしてもらいたくて続けています。
─ 私もグルメやスポーツ、カルチャーなど全ての分野で、水戸には魅力的な素材がいっぱいあると思っています。
だけどそれを活かしきれていないのが水戸だから(笑)。
例えば、保和苑のすぐ近く松本町に「冨久住(ふくずみ)」という料亭があります。ここは以前、フランスの飛行機の機内誌で紹介されたらしいです。「Japon Ibaraki Mito」の文字と「冨久住」の写真が載っていて、『日本にはこういう趣がある』と。
─ 外国人から見ると「おおっ!」と驚くような素晴らしいものがたくさんあります!桂岸寺や保和苑周辺もそのひとつです。オススメの場所は?
回天神社の中の鰊(にしん)倉ですかね。わざわざ敦賀から寄贈されたものですし、水戸の人間はもうちょっと気づかないといけない。※2
敦賀では同じ鰊蔵がまた一棟だけ残っていて記念館になっています(2020年には敦賀市指定文化財に選定)。これも見せ方ひとつ。
「足を運んでみようかな」と思わせるような風にしないと。
※2 幕末、天狗党の乱で敗れた水戸烈士たちは、現在の福井県敦賀市で鰊蔵に幽閉された後に処刑された。
死後彼らは地元の方々の手で葬られ、その後も手厚く供養された。こうした経緯を踏まえ、敦賀市と水戸市は姉妹都市となっている。
─ ご多忙な松本さんですが、末広連合商店会の会長でもあります。
商店街の活性化というのが私の中で第一なんですよね。なぜかというと、商工会議所など規模は大きいですが決して「最も地域密着な組織」ではない。ですが、商店会というのは一番の基礎。地元の人たちが入ることができる一番身近な組織です。だから商店会が活性化されないと、その町は元気よくなっていきません。それに商店会が元気なら、別な土地からやってきた人も活動しやすい。
だからここにきたら商店会に入るんだからね(笑)!
─ はい、もちろんです(笑)。
商店会は茨城大学の前から渡里とか掘の方まで声をかけられるような形にしたい。小さい仲間内だけでやっていると、どうしても疲弊してきちゃうよね。だけどいろんな人が入ってくることによって、新しい情報やアイデアも生まれてくるから。
─ 松本さんにとって、町の活性化のビジョンとはどんなものでしょうか?
昔、「さんやさん」(桂岸寺の愛称)は盆踊りで有名だった。櫓も「五段櫓」という“ハンパないデカさ”で。当時は関東各地から人が来た。景気も良くて、美空ひばりも一度呼んだとか言ってましたね。
昔のようにとは言わないけど、ともかく賑わいを作りたい。町の賑わいはもちろん自分の本業にもつながります。でもそれだけではなくて。私らよりずっと上の先輩が、「昔のさんやさんはああだった、こうだった」って話してくれます。「これは他所では言っちゃいけねえぞ」っていうネタまで話してくれる(笑)。
─ 何年たっても語り継ぎたい賑わいって、まさに魅力的なものですよね。
そういうものを残していきたい。いろんなイベントや話を通して自分が面白いと思ったこと、なるほどと思ったこと。そういうものを町の賑わいや人の輪として残していきたいですね。