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China Report No.06「解説!中国プロバスケットボールリーグ(CBA)前編」

【No.06】解説!中国プロバスケットボールリーグ(CBA)前編

2021-22シーズンが真っ最中のBリーグ。初昇格した茨城ロボッツは強豪相手に奮闘中だ。
そこで、今回はプロバスケットボールリーグについて見ていきたい。
ただし、日本ではなく中国のCBA(Chinese Basketball Association)がテーマだ。
以前もお伝えしたが、バスケットボールは中国でとても人気が高く、かつ身近なスポーツである。

CBAは1995年、8チームで開幕した。ちょうどこの時期に『スラムダンク』(中国語名:『灌篮高手』)のアニメが放送されて爆発的なヒットになったこともあり、後にバスケ人口が大きく拡大する下地ができ始めていた。

2021年現在、CBAは20チームまで増えているが、本記事では老舗の「八一ロケッツ」「上海シャークス」「広東サザンタイガース」の3チームを軸にしてCBAを解説する。

現在開幕中のCBA 2021-22シーズンのポスター

八一ロケッツと中国人初のNBA選手

CBA開幕当時、最強のチームは「八一火箭」(八一ロケッツ)だった。中国人民解放軍八一体育工作チームが前身で、いかにも中国らしい軍隊チームだ。ここに王治郅(ワン・ジジー)というスター選手がおり、彼の活躍で初年度から2000-01シーズンまで6連覇を達成し、その黄金時代は「八一王朝」と賞された。

王治郅の活躍は、世界最高峰であるNBA(National Basketball Association)の目にもとまり、1999年ダラス・マーベリックスにドラフト2巡目(全体36位)で指名を受けた。しかし、中国政府から移籍が許可されず、長い交渉の末に2001年に念願の入団を果たす。
彼こそ中国人初のNBA選手であり、つまるところ“アジア人初のNBA選手”である。

ちなみに、田臥勇太(当時フェニックス・サンズ/現宇都宮ブレックス)が日本人初のNBA選手となったのは2004年のこと。また、範囲を日系アメリカ人にまで拡大すると、かなり古い1947年にニューヨーク・ニックスから出場したワッツ・ミサカという日系人(両親が広島県から移民)がNBA(当時は前身のBAA)史上初の非白人選手である。

上海シャークスと国民的英雄・姚明

無敵を誇った八一ロケッツだったが、主力の王治郅がNBAに移籍したことで力を失い、2001-02シーズンで「上海大鲨鱼」(上海シャークス)に連覇を阻止され、優勝を持っていかれた。この立役者が20歳の姚明(ヤオ・ミン)だった。1試合平均27得点、19リバウンドと大活躍し、身長226cmの“歩く万里の長城”に世界が注目した。

2002年のNBAドラフトでは、外国人選手として初快挙となる全体1位でヒューストン・ロケッツに指名された。それまで外国人選手のドラフト最高位は3位で、王治郅でさえ36位だったので、並居るアメリカの大学スター選手を差し置いて姚明が1位指名を受けたことに世界中が驚愕した。

衝撃はまだまだ続く。ルーキーシーズン(2002–03)でいきなりオールスターゲームにファン投票で選出され、5年目の2006–07シーズンには1試合平均25得点、9.4リバウンド、2.0ブロックを記録。姚明の大活躍に中国人は熱狂し、NBAは全国のテレビ局で放映されるまでになった。中国ではNBA人気が高く、選手もNBAに移籍するケースが多くなったが、姚明がこの道を拓いたのである。

それでも度重なる故障が影響し、2011年7月に現役引退を表明。NBA在籍9年(実働8年)とやや短いキャリアだったが、通算では19得点、9.2リバウンド、1.9ブロックを記録。オールスターに8回出場し、背番号11はロケッツの永久欠番になった。また、2004年アテネ五輪と2008年北京五輪では中国チームの旗手も務め、姚明はまさに中国の国民的英雄となった。そして現在は、中国バスケットボール協会会長を務めている。

国民的英雄の姚明。今なおCMは多く、街でよく見かける

没落の上海シャークスと八一ロケッツ

そんな姚明の大活躍ぶりとは反対に、古巣の上海シャークスは一気に弱体化していった。結局、優勝したのは2001–02シーズンの1回だけで、あとはほとんど下位。2008-09シーズンでは屈辱の17位になった。王治郅を失った八一ロケッツ同様、スター選手の存在は諸刃の剣といえる。

なお、CBAの各チームはスポンサー企業や球団名、本拠地がコロコロ変わるのも特徴のひとつだ。中国経済が急成長したのに合わせてスポーツビジネスも過熱し、買収や撤退が繰り返されているためである。マネーゲームによって選手の年棒は急騰したものの、不安定な経営環境が試合に影響を与えている問題もある。

上海シャークスも2007年にスポンサーになった企業が放漫経営を行い、2009年には撤退する羽目になった。そのとき姚明が出資してオーナーとなり、古巣の危機を救った。その後は経営も軌道に乗り、2017年に全株式を譲渡してオーナーを辞任している。ちなみに、2016年から18年には動画投稿サービス大手のbilibiliがスポンサーになっていた。

八一ロケッツもスター選手の不在と軍隊チームが抱える体制上の制限によって弱体化を止められず、2019-20シーズンはついに最下位に終わった。このときチームはすでに崩壊しており、選手は相次いで他チームに移籍していった。

次の2020-21シーズンでは、最初の試合に出場できずに不戦敗。そして、2020年10月、チーム解散とCBAからの撤退が発表された。8度の優勝を誇った名門チームのあまりに寂しい最期だった。

八一ロケッツが所有していた参加資格は、宁波富邦控股集团に継承された。この企業は2006年から長い間八一ロケッツを支えていたスポンサーで、八一の解散後は独自にチーム編成を行っていた。そして「宁波火箭」(寧波ロケッツ)という長く親しまれてきたロケッツの愛称を冠して2021-22シーズンから参戦している。

次回は、最多優勝を誇る王者「広東サザンタイガース」を中心に、その他のCBA情報をお伝えする。

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