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【朱舜水】水戸の足跡を訪ねて

朱舜水は徳川光圀との面会以降は、江戸に住むことになります。水戸藩に属することになった彼ですが、水戸に赴いたのは記録に残っている限りで2回のみ。それだけ朱舜水の水戸訪問はレアなことであり、ゆかりの史跡はほとんどありません。現在の水戸市民が朱舜水のことに詳しくないのも無理もないこと。それでも朱舜水が水戸で見聞きしたことは気になります。足跡を訪ねてみましょう。

水戸城を訪れる

1665(寛文5)年7月18日、徳川光圀と朱舜水は初対面しました。その翌月8月19日、光圀は水戸へ帰藩します。水戸藩主は代々、参勤交代を行わずに江戸に定住する「定府(じょうふ)」の任にあったため、水戸にいることの方が珍しい状態でした。光圀は貴重な水戸入りができたタイミングで、「朱舜水先生に我が藩を見てもらいたい」と思い、彼を誘います。そして9月、朱舜水は初めて水戸の地を訪れました。

そして3か月ほど滞在し、12月21日に江戸に帰ったことが記録に残っています。ただ、残念ながら石原道博氏の著書にもこれ以上の詳しい情報はなく、水戸のどこを訪れたのかは不明です。ただ、当然ながら光圀の居城である水戸城は訪れています。

復元して新たなランドマークになった水戸城 大手門。高さ約13メートル、幅約17メートルと巨大。

 

水戸城の歴史は古く、平安時代にまでさかのぼります。各時代で城主は何度も変わっており、戦国時代末期にはわずかな期間ですが、佐竹氏が治めていました。江戸時代となり、佐竹氏が秋田・久保田藩に転封されると、水戸徳川家が入城します。光圀の父で、水戸藩初代藩主の頼房は水戸城を大幅に拡張し、城下町を整備。ただ、大きな天守は幕府に遠慮して建てなかったため、とても質素な城でした。

そんな水戸城ですが太平洋戦争中の空襲や火災で焼失してしまい、現在は残っていません。ただ近年、水戸城跡の周辺を復元・整備し、シンボルとして再興する動きが進められてきました。そして2020年に「大手門」が、2021年に「二の丸角櫓(にのまるすみやぐら)」の復元が完成。もとの大手門は佐竹氏時代に建てられたと考えられているので、朱舜水が水戸城を訪れたときは存在しています。彼の気持ちに思いを馳せて門をくぐると、また違った感情が込みこみ上げてくるでしょう。

水戸駅北口のコンコースから見える「二の丸角櫓」。

 

ところで、大手門のすぐそばにある弘道館は幕末に立てられた藩校なので、朱舜水の時代は存在していません。ただ、光圀には史書編纂に加えて、藩校設立の宿願もあったと言われています。「先生、いつか我が藩に儒学を基盤とした藩校を建てたいと思っています」と夢を語っていたに違いありません。

2回目、そして最後の水戸訪問

1667(寛文7)年8月、光圀は数少ない帰藩していた折に、再び朱舜水を水戸へ招きます。朱舜水はすでに68歳と高齢になり、この年の2月にはめまいや耳鳴りなど不調を来していました。その後は体調も回復し、無事に2回目となる水戸訪問を行います。このときのことを朱舜水の弟子たちは、以下のように記録に残しています。

朱舜水先生、再び水戸に至る。上公(光圀)と引見談論する毎に、先生は古義を援引し、弥勒縫規諷(びほうきふう:つくろい補い、それとなくただす)、つぶさに忠告善道の意を尽くす。上公もまた、これと経史を論難し、道義を講究す。

光圀が藩の統治に関して相談し、朱舜水は歴史の事例を用いて、ときにはいさめている様子がうかがえます。朱舜水は半年ほど滞在し翌年2月に江戸に帰りますが、この半年間は光圀にとっても朱舜水にとっても実りの多い日々だったと思われます。結局のところ、水戸訪問はこれが彼の人生最後となります。

舜水祠堂跡に立つ朱舜水像

これ以降は、朱舜水が訪れたわけではありませんが、水戸にあるゆかりのスポットを紹介します。まずは朱舜水像です。NTT東日本茨城支社(水戸市北見町)の入口近くにありますが、毎日前を通っている市民でもこの像に気を留める人はほとんどいないでしょう。

ここに像があるのは、かつてこの地に舜水祠堂(しどう)と呼ばれる堂舎があったためです。もともと舜水祠堂は、彼が没した江戸の水戸藩駒込邸に彼を祀るために建てられました。その後、水戸藩第3代藩主の綱條(つなえだ)の時代、駒込邸から水戸の地へ移されます。単に祀るだけでなく、朱舜水にあやかって学問の講義なども行われていました。

大きな像ではないので見逃しがちですが、ぜひ訪れてみてください。

朱舜水関連も多い徳川ミュージアム

次は徳川ミュージアム(水戸市見川)。水戸徳川家に伝来した美術品や古文書を収蔵、展示しています。やはり存在感が際立つ光圀や、第9代藩主の斉昭に関連したものが多いですが、朱舜水関連も多くあります。以下の記事で登場した座像は徳川ミュージアムに常設展示されているものです。

徳川ミュージアムで展示されているのはほんの一握りで、実は彰考館から引き継がれた膨大な史料、古文書が所蔵されています。歴史ドラマあふれる『魯王勅書』もそのひとつ。いつか一般公開されることを願っています。

「水戸藩らーめん」を食べて思いを馳せる

ミュージアム巡りが終わったら、お腹もペコペコ。最後に石田屋(水戸市柳町)で「水戸藩らーめん」はいかがでしょうか。朱舜水が光圀に中華麺を献上したという逸話から着想を得て商品化され、町おこしでも活躍したラーメンです。レンコンを練り込んだ麺に、ラッキョウ、ニンニク、ニラ、ネギ、ショウガの「五辛」の薬味が特徴的。ぜひ光圀や朱舜水へ思いを馳せながら、食べてみてください!

朱舜水ゆかりのスポットMAP in 水戸

以下の地図に今回登場した朱舜水ゆかりのスポットをまとめてみました。水戸観光の折に活用してもらえれば幸いです。

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