注目記事
『ドラゴンクエストウォーク ~この城わが旅!』水戸城

 

1112日から、ドラゴンクエストウォークに新しい常設イベント「この城わが旅!日本100名城キャンペーン」が追加されました
全国にある松本城、名古屋城、彦根城、姫路城などの名城と並んで、水戸城もランドマークとして加わっています!これはめでたい!
これで茨城では既存の4つに加えて、5つのご当地クエストがプレイできます

ところで、水戸城って何?

ただ、ちょっと待ってください。きっと地元の人でも思うはず。
あれぇ? 水戸にお城なんて、あったっぺかなぁ?」と。

そうです。かつては御三家 水戸徳川家の居城として威容を誇った水戸城も、火災や戦災で焼失してしまい、遺構は後述する「薬医門(やくいもん)」だけ。跡地には多くの学校が建てられ、城の面影はきれいになくなっています。

それでも近年、水戸城跡や弘道館の周辺を復元・整備し、シンボルとして再興する動きが進められてきたのです。そして昨年に「大手門」が、今年6月には「二の丸角櫓(にのまるすみやぐら)」が完成し、お披露目されたばかり。そこに絶妙なタイミングでドラクエウォークのイベントも始まり、さっそく多くの見学者が訪れています

水戸駅で古地図を購入しておこう!

旅のスタートはJR水戸駅から。
改札を出たところに水戸観光案内所があるので、ここで「水戸の城下町MAP 幕末版」(100円)を購入しておくことをオススメします
これは江戸時代の古地図を現代地図の位置に合わせて編集したもの。すでに消失している水戸城ですが、これを見ながら散策すると、かつてのお城のどのあたりを歩いているのか役立ちます。

また、御城印も販売されていますので、必要な方はここで買っておくといいです
目的地には売店がありません。なお、御城印は通常版3種類と、期間限定ドラクエウォーク コラボ御城印があります。
ただし、コラボ御城印は販売開始して数日であっという間に完売しました。

水戸駅を出たら櫓が見えるようになった!

水戸駅北口を出るとコンコースに水戸黄門、助さん格さん像があります。
モデルになったのは水戸藩第2代藩主 徳川光圀
その家臣で『大日本史』編纂に尽力した佐々十竹(さっさ じっちく:助さん)。
同じく安積澹泊(あさか たんぱく:格さん)です。

 

おやっ、コンコースからお城のような建物が見えますね。
あれこそ今日の目的地、今年6月に公開されたばかりの「二の丸角櫓」です。他の天守があるお城と比べれば、小さな櫓かもしれません。それでも水戸駅を出たところにシンボルが見えるようになり、歴史の息吹を感じられるようになったことは大きいです。

さて、あそこに行くためには、まず「弘道館」の看板を目印に歩いて行ってください。

まずは弘道館を目指そう!


ドラクエウォークの世界を見ると、「日本100名城」と書かれた名城スポットが出ました。さぁ、「弘道館」を目指しましょう。水戸駅から徒歩10分以内で着きます。

「おしろつむり」が出現しました。名城スポット周辺にしか現れない限定モンスターです。倒した数によって、限定アイテムが入手できます。

 


弘道館に到着しました。江戸後期の名君第9代藩主 徳川斉昭(江戸幕府最後の将軍 徳川慶喜の父)によって建てられた藩校です。当時の弘道館は水戸城 中三の丸一帯に及んでおり、敷地面積は10.5haで日本最大の規模でした。ここも見応え十分なので、水戸城跡を散策したら戻って必ず見てください(入館料大人400円、小中学生200円、70歳以上200円)。

大手門で記念スタンプを押そう!


この弘道館の向かいにあるのが、一つ目の目的地「大手門」です。2020年2月に復元が完成し、公開されたばかり。高さ約13メートル・幅約17メートルの巨大さで、往時の水戸城が浮かび上がってくるような迫力です。

 

そして、この大手門こそ名城スポットです。ゲーム内で「登城達成」のスタンプを押すと、記念コメントを選択できます。「一国一城の主になる!」を選びました。私は1,386人目の登城者とのこと。この日はキャンペーンが開始されてわずか4日目でしたが、もう1,000人を超える登城者がいるとは驚きです。ドラクエウォークのコンテンツ力は凄まじい!

水戸城跡を散策しよう!


大手門をくぐり、二の丸跡に入りました。ここは「水戸城跡通り」。ここも復元事業の一環で整備されており、歴史の息吹を感じられる素敵なところです。手前左にあるのは、水戸彰考館跡の碑。ここには『大日本史』編纂事業が行われていた彰考館があったんですね。その隣は水戸城跡に関する資料を展示している「二の丸展示館」です。

通りの両サイドは学校なので入ることはできません。そもそも水戸城跡には、幼稚園から小中高等学校あわせて5校1園が集まっています。教育に力を入れた水戸藩の伝統を受け継いでいる感じです。

 


ここで古地図を見ながら、位置を把握しておきましょう。今は③大手門をくぐったところです。次は水戸駅から見えた④二の丸角櫓へ向かいます。ただ、大手門から真南に向かうことはできませんので、水戸城跡通りを進み、細い道を右折して進みます。


古地図といっしょに見るとさらにわかりやすいのが、水戸城の復元模型二の丸展示館にあります。これを見るとわかりますが、水戸城にはそもそも天守も石垣もありませんでした。幕府に遠慮して作らなかったと言われています。その代わり、⑥三階櫓が天守に相当する高い建物でしたが、1945年8月2日の水戸空襲で焼失しました。

なお、水戸城の歴史は古く、水戸徳川家の前には佐竹氏がおり、さらに築城となると平安時代にまで遡ります。佐竹氏がいたのは安土桃山時代末期のわずか12年ほどでしたが、このときに整備が行われ三の丸、二の丸、本丸、下の丸が連なりました。

 


水戸城跡通りを進んで行くと右手にある入口。小さいので見逃してしまうかもしれません。
ここから350mひたすら進みますと、見えました二の丸角櫓です!

 


水戸駅北口コンコースから見えた二の丸角櫓。ここはその裏というわけですね。中に入って見学することもできます。

 


二の丸角櫓の中。完成したばかりのため、木の香りが心地いいです。
出土した遺構や復元に関連する資料などを展示しています。

唯一現存する水戸城の遺構、薬医門


また水戸城跡通りに戻ってきました。最後の目的地、本丸跡にある①薬医門を目指します。途中に高さ約20mの「大シイ」があります。樹齢推定400年、佐竹氏が支配していた頃から自生していたと伝えられています。

 


到着しました。これが水戸城で唯一現存している遺構「薬医門」です。建立年代を特定する資料は発見されていませんが、これも佐竹氏の頃に建てられたものと考えられています。なお、本丸跡には現在水戸一高があり、薬医門の見学のみできますが、それ以外の敷地は立入禁止なのでご注意ください。

この後はまた歩きますが、大手門まで戻って弘道館を見学するのがオススメです。
すでに消失してしまっている水戸城ですが、かなり奥深い城巡りができると思いませんか。

都心からのアクセスも良いので、ぜひ来城してみてください。

おすすめの記事