今回の主人公はなんとお寺! 「水戸のロマンチックゾーン」にある祇園寺です。
生活に溶け込み過ぎて普通のお寺に感じるでしょうが、実は異文化同士が結び付いて誕生した珍しい経緯を持つ寺院なのです。祇園寺の知られざる一面、そしてつながるグローバルの輪について触れたいと思います。
祇園寺を開山した中国僧、心越
祇園寺は、保和苑や二十三夜尊桂岸寺、そして23rd Studioがある「水戸のロマンチックゾーン」にあります。大きくて静かな院内は、地元の人々にとって散歩やお参りをする憩いのスポット。ここも水戸藩主 徳川光圀によって開かれたお寺のひとつですが、ともに創建に関わった人物が中国からの渡来僧であることは、ほとんど知られていません。鎖国によって海外との交流が禁じられていた江戸時代に、例外中の例外として日本人と中国人との交流によって開かれたお寺、それが祇園寺なのです。そして、そのスピリッツは時を越えて現代の私たちを刺激してくれます。
それでは、まず時を17世紀中期まで巻き戻してみましょう。当時の中国にあった明朝は政治腐敗により末期症状でしたが、さらに悪いことに北方から侵入してきた女真族 清朝の猛攻によって滅亡してしまいます。大陸は大混乱に陥り、多くの唐人(中国人)が日本に逃れてきました。しかし、折悪く日本は鎖国を実施中。自由な渡航は禁じられており、長崎のみ居住が認められていました。そんな唐人の一人が、曹洞宗の僧侶である東皐心越(とうこう しんえつ)でした。
その頃、水戸藩における仏教政策を再構築していた徳川光圀は、指導者的存在となる明の遺臣として心越をスカウトします。その後二人は仏教や学問、芸術や茶道、海外情勢などについて思う存分語り合い、終生にわたる友誼を深めていきました。そして1692(元禄5)年、光圀を開基、心越を開山として祇園寺は創建され、今日に至ります。
異文化で育まれた胡安琪先生の感性
そんなエピソードがある祇園寺にて2月1日、茨城大学の外国人留学生が坐禅を体験するワークショップが行われました。日本の文化や技術、地域活動を実際に肌で体験し、そこから学びを得るというフィールドワークの一環です。実施したのは、同大学で心理学の教鞭を取る胡安琪先生。おやっ、胡先生は中国のご出身ですか?
「はい、吉林省長春出身の中国人です。ただ、両親の仕事で3歳のときに日本に来てからは、ずっと日本育ち。中国語はわかりますが、日本語が母語になります。私も多感な頃は、自身のアイデンティティの揺らぎに直面しました。ちょうど親戚がアメリカにいた縁で、思い切って色んな人がいるアメリカに行こうと決めて、向こうで高校と大学を卒業しました。その後は日本に戻って大学院を修了します。こうした経歴を生かして、マジョリティのマイノリティに対する偏見軽減のための心理学アプローチの開発研究を行なっています」
なるほど。異文化の中で成長した胡先生が、外国人留学生を連れて祇園寺で坐禅ワークショップを実施するのは、伝統とグローバルが調和されていて興味深いです。やはり、徳川光圀と心越の日中交流が念頭にあって、祇園寺で実施してみようと思ったのでしょうか?
「実のところ、私は茨城県に来て2年ちょっと。そのエピソードについて詳しくないまま、茨城大学と交流のある祇園寺で実施することになりました。たまたまではありますが、留学生たちがここで坐禅を体験するのは、光圀公と心越禅師がくれた“縁”なのかもしれませんね
貴重な坐禅体験をした留学生たち
今回の坐禅体験には、アメリカや韓国などからの留学生9名が参加。祇園寺に着いた一行は荘厳な雰囲気に魅せられたと同時に、寺院の静寂さに驚いていました。中に入ると坐禅をとりしきる副住職が、「禅の極意は頭の中を空っぽにすること」と説明し、鐘の音を鳴らして坐禅開始です。それぞれが集中して瞑想し、部屋は静寂に満たされていきました。
さて坐禅といえば、集中できない者の肩を板で叩く動作がお馴染みですが、あれは「警策(きょうさく)」と呼ばれています。今回は志願制で行い、半数の学生が志願。「思っていたより痛くなかった」、「いや、私はかなり痛かった」などと感想を述べていました。
坐禅が終わったあとは、副住職のお話と質疑応答の時間が設けられました。そこでドイツからの留学生のノアさんが、「日本の若者は坐禅が好きですか?」と質問。副住職は「坐禅を体験した方はみな、体験できてよかった。心がスッキリした、などとおっしゃいます。ただ、現代ではお寺と若者とのつながりが薄いので、多くの方に坐禅の良さを分かっていただくために、我々も試行錯誤しているところです」と回答しました。
これからアフターコロナで、茨城県にもインバウンドによる外国人観光客が再び増えてくるでしょう。中国人であれば心越のことに興味がわくでしょうし、他の国の観光客も坐禅を体験したい人は多いと思います。徳川光圀と心越の縁で始まった祇園寺で、グローバルな交流が育まれるのはとても素敵なこと。この輪が今後もつながっていくことを願っています。
祇園寺