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【徳川光圀】隠し子の誕生と、泰姫との結婚
江戸時代の婚礼の様子(三代歌川豊国(歌川国貞)『源氏御祝言図』)

素行を改め、勉学に励むようになった光圀。
藩主である父 頼房や家臣たちもさぞ安心したことでしょう。

さて、次なるミッションは「結婚」です。

やんごとなき家柄だけに、誰でもいいとは行きません。
しかし、ここでも光圀はやらかします。

頼房・光圀父子の因果

まとまりつつあった縁談の相手は、京都に住まう近衛家の娘 泰姫(たいひめ)でした。近衛家は藤原氏の嫡流「五摂家」の筆頭で、摂政・関白を輩出し続けてきた貴族の最高格式。徳川家や有力大名家に嫁いだ娘も多くいました。

さて、水戸徳川家と近衛家の両家が着々と準備を進めている中、25歳だった光圀はとんでもない爆弾を抱えます。侍女の弥智(19歳)を見初め、彼女を妊娠させたのでした。間の悪いことこの上なく、光圀周辺は急いで隠蔽工作に励みます。

弥智は家臣の家に預けられ、1652(承応元)年にひっそりと男子(後の松平頼常)を出産します。生まれた子は翌年に高松に送られ、光圀の兄 松平頼重によって養育されます。光圀はこの子に会うことなく時は過ぎ、対面するのは彼が13歳になったときでした。

それにしても、この既視感(デジャヴ)は何でしょうか?

侍女を見初めて隠し子ができ、家臣の家でひっそり生ませて養育させる……。

そうです。父 頼房が侍女を見初めて妊娠させ、隠し子として光圀が生まれた経緯と全く同じなのです。鬱屈した少年期を過ごした光圀が、よもや同じ境遇の子供を作り出すとはなんという皮肉。頼房・光圀父子の因果を感じます。

晴れて藩主になれた松平頼重

ところで、兄 頼重が高松にいたのはなぜでしょうか? それは高松藩の初代藩主として大出世していたからでした。長男ながら水戸徳川家の世子に選ばれず、不遇の頼重でしたが、20歳のときに藩主に選ばれたのは幸運でした。

加えて光圀の子を養育するなど、人柄の良さも伺えます。江戸時代の大名家では血で血を洗う「お家騒動」が頻発していただけに、この兄弟の仲の良さはかなり珍しいです。頼重という存在が光圀にとって大きな心の支えだったことは間違いないでしょう。

高松松平家の居城だった高松城跡(香川県高松市)。天守は残っていないが、一部の櫓が現存している。

 

光圀と泰姫、無事に結婚

江戸時代の婚礼の様子(三代歌川豊国(歌川国貞)『源氏御祝言図』)

 

すったもんだありながらもなんとか辻褄を合わせ、1654(承応3)年に光圀(27歳)と泰姫(17歳)は無事に結婚。夫婦は小石川水戸藩邸で暮らします。

泰姫は和歌に優れ学識が高く、光圀との仲は睦まじかったと伝えられています。NHKドラマ『剣樹抄』では松本穂香さんが、穏やかな雰囲気ながらも光圀(演:山本耕史)を支える泰姫を好演しました。

しかし、この幸せな結婚生活は5年未満で終わりを告げます。泰姫は1659(万治元)年に21歳で病死してしまうのです。泰姫の病気の原因を作り死期を早めたのは、未曾有の大災害「明暦の大火」(1657年)でした。江戸を壊滅させたこの大災害で、光圀もまた多くのものを失うのでした。

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