孫文(1866年~1925年、写真左)。中華圏では孫中山の名称で呼ばれることが多い。辛亥革命を起こして1912年に清朝を打倒し、アジア初の共和制国家である中華民国を建国した偉人だ。とはいえ、彼の一生はほとんどが逃亡・亡命生活だった。
海外を転々としたが、中でも日本では長く生活した。宮崎滔天、頭山満、犬養毅、梅屋庄吉といった著名人から一般人に至るまで、千人以上の日本人が彼と関わったと言われている。
「それならば、日立市にも来訪していたのか?」と期待してしまう今回のタイトルではあるが、実はミスリード。残念ながら、そのような記録は残っていない。ただし、まったく無関係なわけではないのだ。
日立市の重工業の幕開けといえば、日立鉱山である。後にここから日立製作所が生まれ、茨城、日本を越えてグローバル企業へと成長していった。この日立鉱山を設立したのが久原房之助(くはら ふさのすけ、1869年~1965年、写真右)だ。実はこの久原も孫文に資金援助していたのである。
せっかく中華民国を建国した孫文だったが、権力基盤が脆弱だったことで袁世凱に地位を追われ、再び日本に亡命していた。1915年、久原は所有する広大な日本庭園「八芳園」(東京都港区)に孫文を招き、資金援助の約束をした。久原の財力は日立鉱山が根源だったため、日立から孫文へ資金がリレーされたとこじつけることもできる。あまり知られていないが、このような日中交流史もあったのだ。
日立鉱山については、日鉱記念館がオススメ!
日立鉱山は1981年に閉山したが、運営会社の日本鉱業はその後も分離や合併を経て日鉱金属→JX日鉱日石金属→JX金属と変遷し、なんと現存している。また、日立鉱山の歴史を後世に伝えるため、日鉱記念館fa-external-link(日立市)を1986年から設置している。
ここには孫文が久原に宛てた書簡も展示されている。その他、当時の採掘現場も再現しており、日立鉱山および日立市の歴史を知るのにとても役立つ施設だ。興味がある人はぜひ訪れてほしい。