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【徳川光圀】傾奇者を変えた史書との出会い
漫画版『光圀伝』(冲方丁 原作、三宅乱丈 画)で描かれた傾奇者だった頃の光圀。

江戸小石川の藩邸で父頼房からスパルタの世子教育を受けていた光圀でしたが、長じるにつれ手の付けられないほどの不良少年に成長します。その激しすぎる反抗期から、いかにして学問に目覚めていくのか。光圀の青年期を見て行きます。

傾奇者、江戸を闊歩す

木綿の小袖にビロードの襟、帯を腰に巻き付け、派手な服装をして江戸の街を練り歩く美少年が一人。その姿はまさに傾奇者(かぶきもの)。彼こそ若き水戸の御曹司、徳川光圀でした。

光圀は10代初めから素行が悪くなり、旗本奴(はたもとやっこ)と呼ばれる不良グループともつるむようになります。旗本奴は「不良」なんていうレベルではなく、気まぐれに町人を辻斬りするほどの危険集団でした。そして、光圀も浅草で辻斬りを犯しています(※注1)。また、吉原遊廓にも頻繁に通い、放蕩生活はエスカレートしていきました。

かなりの悪童ぶりに驚愕します。私たちが知っている優しい笑顔の好好爺、悪を成敗するご隠居様、民に愛された水戸黄門と本当に同じ人物なのでしょうか? ただ、光圀は幼少の頃より、兄を差し置いて世子になったことに苦悩し続けており、それでこのような反抗につながったと考えられています。

漫画版『光圀伝』(冲方丁 原作、三宅乱丈 画)で描かれた傾奇者だった頃の光圀。

 

注1…『剣樹抄』(冲方丁 著)では、若い頃に犯した辻斬りの所業が、因果となって後年の光圀に降りかかるという設定が盛り込まれている。

転機となった『史記』伯夷伝

そんな荒んだ光圀でしたが、18歳のときに転機が訪れます。たまたま読んだ司馬遷の『史記』に書かれた「伯夷伝」(はくいでん)の内容に感銘を受けたのでした

『史記』は中国の歴史書の原点にして頂点と呼ばれている書物。司馬遷は漢の武帝の時代(紀元前2世紀頃)の人物なので、それ以前の中国史がまとめられています。すなわち、中国の建国神話、夏、殷、周、秦、漢の高祖(劉邦)から武帝までの歴史です。その中の「伯夷伝」とは、殷代末期の伯夷(はくい)と叔斉(しゅくせい)という兄弟の人生をまとめたものです。

 

二人は孤竹国(こちくこく)の王子で、伯夷は長男でしたが、国主である父は三男である叔斉に継がせようと考えていました。

やがて父が死んだとき叔斉は兄を差し置いて国を継ぐことをためらい、伯夷に譲ろうとしました。しかし伯夷は父の言葉に背くことはできないと国を出てしまいました。

叔斉もまた兄の気持ちを察し、国を出て兄を追いかけていきました。残された人々はやむを得ず、次男を立てて孤竹国を嗣がせました。

 

宋代の画家 李唐の『采薇図』に描かれた伯夷と叔斉。

 

国主に選ばれなかった長男、選ばれたことで苦悩する三男。あまりに似た境遇に光圀はビックリしたはずです。光圀はこの古代中国の兄弟たちから、何かのヒントを得たのでしょう。

同時に歴史の奥深さ、面白さを見つけます。「書物を読めば時代や場所を越えて、過去の人物たちに触れることができる。これは凄いことだ」。以来それまでの素行を改め、学問に精を出して行くようになります。

それにしても、後に朱舜水という中国人を師に迎える光圀ですが、そもそも人生の転機となった出来事が中国の史書だったというところに運命的なものを感じます。そして、光圀の学問熱は大きく、激しく成長していくのでした。

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