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サザンは中華圏で有名? 無名?
1978年にメジャーデビューしたサザンオールスターズは、40年以上にわたってトップを走り続けている、誰もが認める日本を代表するバンドである。ファン層も10代から70代以上と驚くほど幅広い。聴けば青春の記憶が甦ってくる、そんな魔法のような力がサザンの曲には込められている。
では中華圏での人気はどうか。バンドの中国語名は「南方之星 Nánfāng zhī xīng」と表記するが、実はそれほど有名ではない。試しにLI編集部の中国人メンバーに聞いてみたが、「知らない」と言われた。日本に長く住んでいる彼らでさえ、そんな感じである。
しかし、「いとしのエリー」や「真夏の果実」といったサザンオールスターズや桑田佳祐の楽曲について述べると、状況は一変する。逆に、中華圏ほとんどの人に知れ渡っているほど有名な中国語カバー曲がたくさんあるのだ。
「バンドは知られていないけど、歌は超有名」。
この不思議な現象について解説したい。
「真夏の果実」の中国語カバー曲が大ヒット
サザンの中国語カバー曲が登場するキッカケとなったのは、1991年にジャッキー・チュン(張学友)が「真夏の果実」を広東語でカバーした《每天爱你多一些》と考えられる。カンフー映画で有名なジャッキー・チェン(成龍)と英語名が似ているので混乱するが、香港の大スター「四大天王」(※詳細後述)のひとり。中華圏では絶大な知名度を誇り、歌唱力の高さから「歌神」の称号で呼ばれている。彼のカバー曲が大ヒットしたため、その後香港と台湾の音楽シーンでサザンの楽曲は相次いでカバーされるようになった。
バラードをメインに30曲もカバー
以下の通り、中国語カバーされた楽曲はわかっているだけでも30曲もある(桑田佳祐ソロ曲も含む)。これは日本人歌手/バンドの中では、中島みゆきと並んで最多記録と思われる。
なお、下記発表年はサザン原曲のものであり、カバー曲発表年ではないので注意。その隣にあるのは、中国語カバー曲名。2つ以上存在するのは、広東語に加えて北京語バージョンが作られたから。香港の他、台湾でも別バージョンが発表されたから。すでにカバー曲があるのを知らずに新しく発表してしまったといったトンデモ理由があるため。
- 「いとしのエリー」(1979年、《想你》《Ellie》《给我亲爱的》)
- 「夏をあきらめて」(1982年、《营火》《全心传意》《无尽冷雨下》《不能停止爱你》)
- 「恋人も濡れる街角」(1982年、《雨中的恋人们》《你是我心上人》《只想将你等》《街角追情》)
- 「旅姿六人衆」(1983年、《真情流露》、《情到深处》《PIANO》)
- 「ミス・ブランニュー・デイ」(1984年、《亲近多一次》)
- 「あっという間の夢のTONIGHT」(1984年、《恋爱狂想曲》)
- 「よどみ萎え、枯れて舞え」(1984年、《You and Me》)
- 「愛する女性とのすれ違い」(1985年、《夜变得精彩》)
- 「MERRY X'MAS IN SUMMER」(1986年、《夏日圣诞》)
- 「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」(1987年、《蓝天与白云》《就是喜欢你》)
- 「誰かの風の跡」(1988年、《从没有这么爱恋过》)
- 「OH, GIRL (悲しい胸のスクリーン)」(1990年、《Oh Girl》)
- 「真夏の果実」(1990年、《每天爱你多一些》《你在他乡》《恭喜发财歌》《复刻回忆》)
- 「クリといつまでも」(1991年、《爱的魔法》)
- 「花咲く旅路」(1991年、《飘雪》《蝶儿蝶儿满天飞》)
- 「涙のキッス」(1992年、《认识你真好》《爱过每一天》《喜欢你是你》)
- 「シュラバ★ラ★バンバ」(1992年、《9990次想她》)
- 「DING DONG (僕だけのアイドル)」(1992年、《叮当》)
- 「CHRISTMAS TIME FOREVER」(1992年、《Merry Christmas》)
- 「IF I EVER HEAR YOU KNOCKING ON MY DOOR」(1992年、《爱的解释》)
- 「エロティカ・セブン」(1993年、《月亮下求你一吻》)
- 「素敵なバーディー (NO NO BIRDY)」(1993年、《只懂得对你好》)
- 「月」(1994年、《望月》)
- 「孤独の太陽」(1994年、《在那天去后》)
- 「ドラマで始まる恋なのに」(1996年、《糖果》)
- 「素敵な夢を叶えましょう」(1998年、《再等一百年》)
- 「TSUNAMI」(2000年、《她爱了我好久》《其实我很担心》)
- 「通りゃんせ」(2000年、《顺路不顺路》)
- 「白い恋人達」(2001年、《my love》)
- 「HOLD ON (It's Alright)」(2002年、《越爱越美丽》)
- 「彩 〜Aja〜」(2004年、《只要你爱我》)
サザンの楽曲は型にはまらず、ジャンルもロック、ポップ、ジャズ、ラップと幅広いのだが、以上のカバーされた楽曲を見てみると、バラードが多いことに気付く。これは中華圏ではバラードが圧倒的に支持されているからだ。近年は、他国と同様にダンスミュージックやラップなども増えてきたが、それでもバラードの人気は根強い。サザンのバラードは、中華圏の人々の好みにぴったりハマったといえる。
中華スターがこぞってカバー
サザンの名曲は中華圏のスター歌手たちに愛され、数多くカバーされた。曲が中華圏で有名なのは彼らの影響が大きい。
90年代若手スターのトップで、今は大御所の地位にある「四大天王」のうち、アンディ・ラウ(劉徳華)を抜かした3人がカバー曲を発表している。
- ジャッキー・チュン(張学友)/「真夏の果実」「月」「旅姿六人衆」「いとしのエリー」
- アーロン・クオック(郭富城)/「ミス・ブランニュー・デイ」「よどみ萎え、枯れて舞え」「CHRISTMAS TIME FOREVER」
- レオン・ライ(黎明)/「愛する女性とのすれ違い」「エロティカ・セブン」「いとしのエリー」
金城武も国際的なブレイクを果たす前の台湾アイドル時代に「あっという間の夢のTONIGHT」をカバー。この他にも以下のように枚挙にいとまがない。
- テレサ・テン(鄧麗君)/「MERRY X'MAS IN SUMMER」
- レオ・クー(古巨基)/「悲しい気持ち (JUST A MAN IN LOVE)」「IF I EVER HEAR YOU KNOCKING ON MY DOOR」
- サミー・チェン(鄭秀文)/「DING DONG (僕だけのアイドル)」
- アンディ・ホイ(許志安)/「涙のキッス」「白い恋人達」「誰かの風の跡」「孤独の太陽」「通りゃんせ」
- イーキン・チェン(鄭伊健)/「シュラバ★ラ★バンバ」
かつて中華圏でも有名な時代があった
しかし、これだけ中国語カバー曲が多いのに、サザンオールスターズというバンドの知名度が中華圏で低いのはなぜだろうか。それにはいくつか理由がある。
実は中華圏でも有名だった時期があるのだ。それが1991年から数年間のこと。まず、前述のとおり1991年にジャッキー・チュン(張学友)が「真夏の果実」のカバー曲《每天爱你多一些》を発表して、大ヒットした。そして翌1992年、サザンは初の海外公演をなんと北京の首都体育館で開催(※当時は中国名を「南天群星」と表記していた)。この影響で同年に発表したアルバム『世に万葉の花が咲くなり』に収録された曲のうち、5曲も中国語でカバーされている。この頃は中華圏でもサザンフィーバーが起こっており、大変有名だったのだ。
しかし、ここ20年間は目立ったカバー曲も発表されておらず、サザンもとくに中華圏を意識した活動がなかったため、知名度は薄れていったのだと考えられる。
勝手にカバーしたものも多い
もうひとつの理由が、勝手にカバーしたから。今はずいぶんマシになったが、かつての中華圏では著作権の考えがほぼ皆無であり、カバーした曲のうち正式にサザン側に許可をとったものがどれほどあるか怪しい。香港、台湾でカバーが乱立した結果、サザンとは無関係に中国語カバー曲のみが独り歩きし、有名になっていったパターンも多い。
かつて筆者は「この曲は、実は日本のバンドが原曲なんだよ」と中国人に伝えたら、「何を言っているんですか。これは昔から中華圏で愛されている曲ですよ」と否定されてしまったことさえある(涙)。冗談みたいな話ではあるが、中華圏ではよくある珍現象だ。複雑な心境ではあったが、サザンや桑田佳祐の楽曲が国境を越えて愛されていることは事実であり、とても誇らしいことである。